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欠落を埋める』ことについて。

村上春樹はものを書くことが欠落を埋める手立てになっている、という。
埋めても埋めても埋まらない。芸術行為、とはそういうこと、か?

村上春樹の追記の引用。


ひとつ確認しておきたいのは、欠落そのものは(あるいは病んでいることは)人間存在にとって決してネガティブではない、ということです。欠落部分というのはあって当然です。ただし人が真剣に何かを表現しようと思うとき、「欠落はあって当然で、これでいいんだ」とは思わないものです。それを何とか埋めていこうとする、その行為に結果的な客観性がある場合には、それは芸術になることもある。そういうことです。



以下はSNSで書いた文章をサルベージ。
そのころ私の周りには、とてもとても無自覚な女性たちが居ました。
彼女たちに向けて書いた文章だけれど、たぶんそんな人たちは履いて捨てて腐るほど居るから、だからまた書くよ。



そう、人間は誰しも、欠けた部分を持って生きている。

それは「損なわれた」「失われた」というより、「欠けた」っていう方が私にはしっくりくる。
そのぽっかりと空いた部分は誰かに負わされた傷かもしれない。けれど、そこから生まれる空虚の方が、傷そのものより、たぶん重大だ。

えーと脱線した。


そう、人間は欠損している生き物。


「基底欠損」という概念もありますが。
(心理学的説明をうまくできないので、どっかの育児サイトから見つけてきた通俗的な説明を。すみません。あと昔書いた文章サルベージなのでリンクは失念)


※母子関係の確立ができず、関係性障害に陥り、基本的信頼関係を確立できないと、基底欠損と呼ばれる状態が生じ、その後の発達や人格形成に大きく影響します。




基底欠損という、決定的な欠損以外にも、人間は色々な人と交わり、関係し、その度に傷を負うわけです。
家族関係、教師と生徒の関係、友人関係、恋人関係・・・いろんな関係で、さまざまな種類の、そしてさまざまな大きさの傷を負い、欠損を抱えるようになります。


ここでまた脱線しますが、私は自分だけが欠損しているだなんて思ったことは無いです。
私は家族に愛されてきた、と自分では思います。十分すぎるほどの愛情を受けてきた、と。それでも、人間は決して完璧じゃないから、欲しかったのにもらえなかった愛情もある。傷つけられたこともあるかもしれない。だから、どんなに幸せな家庭でも、欠損は生じるのです。
私は友人関係に恵まれてきた、と思います。数は少なくても、とてもいい関係を築けて、いろんな話をして、いろんなものを得た。それでも私はいじめられたし、裏切られたし、だから、欠けている。
恋人にしたって、同じだ。あの時私は確かに「愛されていた」のかもしれない。けれど、それは所詮一時の、そしてとても若い感情。そして、あの人は人を(というか私をか)傷つけることは何とも思わない人だった。私は何かを得、そして同じくらい失った。
でも、それらぜーんぶ、誰にでもあること。生きていれば自ずから生じる、必要な傷。
だから、自分だけが欠損しているなんて、そんな変な選民意識はありません。
脱線終わり。


みーんなどこかしら、欠けている。
不恰好に、欠けている。

人はそれをどうにか回復しようとして生きるんだろう。

でもそれって本当に埋められる?


埋められるはずなんて無い。
負った傷が回復するなんて嘘だ。愛されれば、誰かに愛してもらうことが出来れば、そのでこぼこに沿うように、愛が埋めてくれる。

・・・なんて愚かな幻想。


傷は生涯塞がることは無い。
欠損欠損のまま、欠けた空虚のまま、何をしたってその欠けたパーツの代わりになるものなんて、ない。
私たちは一生、欠けた自分を抱えながら生きていく。

愛情が出来るのはたぶん、目眩ましだ。
醜く残る傷跡を、ふわり、と柔らかく一時的に覆い隠す絹布。
愛する人は自分の失われた半身ではない。
愛する人にさえ癒されることは無い、傷跡。できるのはせいぜい、違う傷を抱えながら、互いの傷を優しく舐め合うことだけだ。


それでも生きていく。
生きていくしかない。

でもそれはきっと、悲しいことじゃない。
欠けた部分を優しく撫でて、愛でることすら私たちはできるんだ。
それはきっと、とても、すばらしいこと。





よしながふみ、という漫画家の作品に、「西洋骨董洋菓子店」という漫画があります。

ケーキ屋を舞台に、主要登場人物4人のさまざまな生き方が交錯する。男4人で、しかもそのうち1人はゲイという、普通の少女漫画には無い設定ですね。・・・でもBLではないんですよね。主要登場人物によるその間のホモセックスや恋愛関係はほとんどないから。ニアホモ、やおいを根底に置いた漫画、とだけ定義づけておきましょう。

まぁとにかく、男性4人がいるのですが。

彼らはみんな欠損を抱えて生きている。


ケーキ屋のオーナー、橘は少年期に誘拐されて、その時の記憶がなく、それ以来、人生のどこかでそれに悩まされて生きている。 「せめて教えてくれ 何も俺に返してくれないのならば 本当はあいつにあんなこと言いたくなかったんだ」

天才パティシエ、小野は、性的に奔放な母親のもとで育ち、それ故、女性が怖い。ゲイとして、 「こんなにいやらしいことが好きなんて、僕にはやっぱりお母さんの血が流れてるんだ」 と。

パティシエ見習い、エイジは父親も母親もいない。施設に預けられ育てられた。拾われたもとでボクシングの才能に目覚め、開花させるも、網膜剥離によって引退。 「俺もう誰かに捨てられんのやだよぅ・・・っ!」

ギャルソン、千影は何も出来ない、頼りない男。それでも天使のような純真無垢な心を持っている。眼が弱くサングラスが手放せない。 「かけていても少しずつ悪くなっていくような気がしてるんです。もしかするとこの先まだ悪くなっていくのかもしれません」

・・・書いてみて思ったけど千影は欠損というよりは、思考そのものが少し幼いことによる欠落なんだろうなぁ。


まぁ、まとめると、みんな、癒されることの無い欠損を抱えて生きている。
愛する人にも、家族にも、友達にも、仲間にも、誰にも、誰にも埋めることはできない。
それは自分ひとりだけの空虚。
自分ひとりで、対峙しなければならない深淵。


それでも彼らは懸命に生きている。
欠けていることを自覚しながら生きている。
それが誰にも還元できないことを引き受けながら生きている。


だから、私は彼らが、よしながふみの生み出す漫画が好きなのかもしれません。

よかったら、ぜひ読んでください。 漫画のほう。
読んで損は無い作品です。
(アニメがノイタミナでやってるけど全然みるきしないよ・・・)



と、ちょっと軽めの後味に仕上げたところで今日は終わりー。



テーマ:心のつぶやき - ジャンル:心と身体



















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